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第四話 追懐

Auteur: 春埜馨
last update Dernière mise à jour: 2025-09-07 08:39:21

 翌日の昼。

 緑琉門から尊仙廟に戻ってきた|墨余穏《モーユーウェン》は、|葉鈴美《イェリンメイ》から土産で貰った桃と、帰りの道中で買った万頭と酒を持って、尊仙廟の裏手にある墓へ向かった。

 今日は、|豪剛《ハオガン》の命日である。

 |墨余穏《モーユーウェン》は

「父ちゃん、酒と桃持ってきたよ」

 と言って、|豪剛《ハオガン》の墓の前でどさっと座り込んだ。

 酒瓶の先についている二つの杯にそれぞれ酒を注ぎ、本人と交わすかのように、墓に杯を当てて乾杯した。

 |墨余穏《モーユーウェン》は一気に飲み干し、独り呟く。

「なぁ、父ちゃん。俺、死んだはずなのに何故か甦っちまったみたいでさ……。俺、これからどうしたらいい?」

 |墨余穏《モーユーウェン》は万頭を齧りながら、答えてはくれない声を待った。

 今でもあの頃のように|豪剛《ハオガン》と一緒に生きていたら、こうした迷いなど生じず、くだらない事で笑い転げ、こんな暇を持て余す事もなかっただろう。

 |墨余穏《モーユーウェン》は墓の横に咲いていた蒲公英を引き抜き、花弁を一枚ずつ取りながら、|豪剛《ハオガン》と出会った頃の幼少期を思い出した。

 あれは五歳の夏頃だっただろうか━︎━︎。

 両親が流行り病で同時に死んでしまい、住んでいた家が無くなった。一人残された|墨余穏《モーユーウェン》は、路上で生活せざる得なくなり、露店から出るゴミを漁ったり、物乞いをして何とか少量の食事にありつけるという日々を過ごした。

 裕福な子供たちからは、差し入れだと言って泥水や泥団子を渡され、笑われる日々。着る服も端切れのように破れ、不衛生で汚い子供だと、通りかがる老若男女に忌避された。

 やがて季節は夏から冬になり雪が舞い始める。

 |墨余穏《モーユーウェン》の小さな身体は、限界を迎えようとしていた。身体全体に霜焼けが広がり、目も虚ろで、遂に話すことすら出来なくなった。

 するとそこに、凍死寸前だというのに、更に追い討ちをかけるかの如く、子供の体を売り飛ばす輩が|墨余穏《モーユーウェン》の前にやって来た。

「ほぉ。こんな所にいい品物が落ちてるじゃないか。売ったら金になりそうだな〜。おい、立て! クソガキ!」

 歯が抜け落ち、顔も黒ずんだ汚らしい輩が、横たわる|墨余穏《モーユーウェン》の腹を蹴り、無理矢理立たせようとした。

 凍傷で足の感覚を失っていた|墨余穏《モーユーウェン》は、当然立つ事も出来ず、その場に崩れ落ちる。

「チッ。このクソガキ。立てやしないのか。なら、引き摺っていく。どうせその足も煮て焼かれるだけだからな」

 衣の首元を掴まれた|墨余穏《モーユーウェン》は何も言えず、ただひたすらに引き摺られた。

 もはや、痛みなど何も感じない。

 生きる希望もなければ、恐怖もない。

 残された選択は死しかないと、涙も出なくなった。

 しばらく引き摺られていると、急に輩が立ち止まった。

「おい! 何だお前! そこをどけ! 俺の邪魔をする気か?!」

 輩の目の前に、どうやら誰かがいるようだ。

 |墨余穏《モーユーウェン》は何も抵抗せず目を瞑り、耳だけで様子を伺う。

「いやいや、子どもをそんな雑に扱うなんて、善人がすることじゃない。その子どもをどうする気だ?」

「はぁ? 売りに行くんだよ! 子供の肉は美味いからな! 金になるんだ! そこをどけ!」

 輩の言葉に屈することもせず、男は引き摺られていた|墨余穏《モーユーウェン》を、「ふぅ〜ん」と言いながら覗き込むように見遣った。

 男はまた続ける。

「酷い有り様だな……。お前がやったのか?」

「違げぇーよ! 外で拾ったんだ。真冬に一人で寂しく死にそうだったからよ、俺が拾ってやったんだ。誰かに煮て焼かれた方が、こういう捨てられた子供は幸せだろうよ?」

 |墨余穏《モーユーウェン》が薄らと目を開けると、男と目が合った。

 その男は目鼻立ちが整い、柔らかい表情とは裏腹に、背が高く堂々たる体躯だった。

 男は|墨余穏《モーユーウェン》を見つめながら、口元を緩める。

「ふ〜ん。なら、いくらで売ってくれるんだ?」

「高いぞ。お前は、いくら出せるんだよ?!」

「ん〜、これでどうだ? 今から行こうとしているお前の親分より、高値だと思うが」

 その男は金の塊を輩に差し出した。

 輩はそれを奪い取ろうとしたが、男は金を引っ込める。

「だめだめ。先にこの子を渡してくれないと。ほら、さっさと紐を解いて。早く」

 輩は金の塊が貰えると顔をニヤつかせて、霜焼けで真っ赤に染まった|墨余穏《モーユーウェン》の両手、両足の紐を解いた。

 そして、汚い歯を見せながら、|墨余穏《モーユーウェン》を男の方へ向かって蹴飛ばす!

 その行動を見た男は、目を細めながら帯刀を抜き出し、輩の足を斬り落とした。

「あぁーーーっ!! な、何しやがる!」

「子どもを蹴るようなそんな足など要らんだろ? 誰がお前のようなゴミに金をやるかよ! この子は俺が預かった。じゃあな」

 そう言って、男は震えている小さな|墨余穏《モーユーウェン》を抱き抱えた。

「よしよし、怖かったな。もう大丈夫だ。おじちゃんと一緒に帰ろう」

 |墨余穏《モーユーウェン》は大きな胸元に抱き寄せられ、その温もりを肌で感じた途端、蓋をしていた壺から水が溢れ出すかのように、しゃくり上げながら涙を流した。

 こんな愛情を感じたのはいつぶりだろうか。

 |墨余穏《モーユーウェン》は、男の襟元をグッと掴み、離れまいとしがみついた。

「はははっ。可愛いやつだ! 俺は|豪剛《ハオガン》。お前の名は?」

「モ、モー……、ユー……、ウェン……」

「いい名じゃないか。よし、今から少し走るからな。しっかりしがみついとけよ!」

 そう言うと|豪剛《ハオガン》は呪符を胸元から取り出し、|乗蹻術《じゃきょうじゅつ》を使って走り出した。

 |墨余穏《モーユーウェン》は揺られながら|豪剛《ハオガン》の顔を下から見上げる。

 そこには、大切なものを奪い返したような誇らしげな表情があった。

 |豪剛《ハオガン》の声が、記憶の中で木霊する。

「いいか、|墨余《モーユー》。強き者を味方にし、弱き者には手を差し伸べろ。賢く生きる奴は、そうやって自らの貧しさを遠ざける。生きる意味を知りたければ、先ずは足を知り、愛を向けるんだ」

 暖かい風が|墨余穏《モーユーウェン》の頬を伝い、|墨余穏《モーユーウェン》を現実の世界に戻した。

 |墨余穏《モーユーウェン》は流れている雲を追いかけるように、透き通った青空を見上げる。

 (父ちゃん。今世では愛を向けられるだろうか……)

 一瞬、|師玉寧《シーギョクニン》の顔が浮かぶも、|墨余穏《モーユーウェン》は、自信無さげに大きく息を吐いた。

 しばらく茫然としていると、晩霞が空を赤く染め始める。

 長居し過ぎたと|墨余穏《モーユーウェン》は供えていた酒を墓にかけ、立ち上がった。

 すると、遠くから「|墨逸《モーイー》〜」と呼ぶ声が聞こえてくる。

 |尊丸《ズンワン》だ。

「|墨逸《モーイー》ここにいたんだね。そうか、今日は|豪剛《ハオガン》道長の命日だったね。邪魔をしてすまない」

「いいよ。どうしたの?」

「少し|墨逸《モーイー》に付き合ってもらいたくてね」

 |尊丸《ズンワン》は、先日行った町のある亭主から、尊仙廟の庭で採れる特殊な薬草を買いたいと頼まれていたらしく、それを亭主に届けたいとのことだった。

 近頃の夜道は危険が伴う。

 つい先日、|墨余穏《モーユーウェン》も黄山へ幻妖を退治しに行ったばかりだ。

 |墨余穏《モーユーウェン》は二つ返事で|尊丸《ズンワン》の護衛も兼ねて、町まで同行することにした。

 日が暮れ、先日行った昼間の町の景色とは打って変わり、夜も露店で賑わいを見せ、相変わらず活気があった。

「|墨逸《モーイー》。私はここの角を曲がった所に行ってくるから、ここの店に入って待っていてくれるかな?」

 |尊丸《ズンワン》は目の前にある酒楼を指差して、|墨余穏《モーユーウェン》にここで待つよう促した。

「分かったよ。じゃ、中で待ってる」

 角を曲がる|尊丸《ズンワン》の姿を見届け、|墨余穏《モーユーウェン》は皿の重なる音や話し声で賑わう酒楼の中へ入った。

 |墨余穏《モーユーウェン》の姿に気づいた女将が、小走りで駆け寄る。

「お客さん、お一人?」

「いや、連れがもう一人来る。入れるかい?」

 女将は小さく微笑み、|墨余穏《モーユーウェン》を一番角の席に案内した。

 |墨余穏《モーユーウェン》はそこに並ぶ椅子に腰掛け、一杯の茶を注文する。

 辺りを見渡すと、中年太りの男達が豪快に酒を煽っていたり、若者たちが双六の賭け事に興じていたり、勝手気ままな時間がここでは流れていた。

 しばらくすると、頼んでいた一杯の白茶が目の前に届く。

 |墨余穏《モーユーウェン》は女将に礼を言い、揺蕩う湯気に顔をつけながら茶を啜った。

 かつての|墨余穏《モーユーウェン》も、|豪剛《ハオガン》を亡くしてから本来の寂しがりやで気ままな性格が戻り、出向いた先々で何振り構わず好き勝手に振る舞っていた。|師玉寧《シーギョクニン》に恋慕を抱いているというのに、叶わぬ恋の寂しさから好きでもない女子と戯れたり、酒に溺れたりもした。

 懐かしさを感じながら一杯の茶を飲み終えると、意外にも早く|尊丸《ズンワン》がやってきた。

「|尊丸《ズンワン》和尚、早いね。もう終わったの?」

「うん。頼まれていた薬を渡しただけだからね。さて、何か適当に食事を頼もう。酒も呑むかい?」

 「呑む!」

 |墨余穏《モーユーウェン》の威勢の良い声を聞いて、|尊丸《ズンワン》は機嫌良くいくつかの料理を注文した。

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